「他愛 vol.0」のこと

「他愛 vol.0」という散文集の中に「ワニ、半身、寝室。」という文章を載せてもらいました。

他愛 vol.0 | wutayamamoto base

これは「山本ウタ」という詩人さんが作っている散文集です。毎回テーマが設定されるらしく、今回のテーマは「隙間」でした。いろんな人がいろんな角度から、直接的に、あるいは間接的に隙間について語っています。手元に届いた他愛を読んでいたら霧の中を歩いているような感覚につつまれて心地よかったです。

「ワニ、半身、寝室。」は短編小説です。依頼が来たとき、「文量はおまかせで、1000字でも10000字でもいいです」とのことだったので、張り切って8000字を書いて送ったら、散文集の中で僕のテキストだけ飛び抜けて多い文量になっていました。フォントサイズがやや小さく、レイアウトも二段組になっていて特別感があって嬉しかったです。

まだ僕がほんとうに幼かった頃、家の寝室にあるクローゼットと、押し入れの間に奇妙な隙間がありました。僕はその寝室で、母親と父親と(ある時期からは妹と)眠っていました。夜になって明かりを消され、目を閉じます。でも、ずっとその隙間のことが気になって眠れず、気づけば目を開いてしまいます。その隙間はいつも暗く、どこかしっとりとした沼のような暗闇に満たされていました。僕はそこに、ワニが住んでいると思っていました。大きな、黒い鱗につつまれたワニです。とても怖かったです。でも、どうしてワニが住んでいると思ったのかはわかりません。

「隙間」というテーマをもらったとき、頭の中で真っ先にあの隙間が思い浮かびました。そのため、「ワニ、半身、寝室。」は、ワニと寝室についてエッセイを書こうと思ったところから始まりました。どのように書けばあの感覚を伝えられるだろうかと考え、構成を考えた結果、気づけば小説になっていました。そのため、このお話のほとんどはフィクションです。

しかし、当然のことですが、寝室の隙間にも実際にワニが住んでいたわけではありません。それは僕が作り出していた妄想であり、つまるところフィクションです。それなら、仮に「ワニ、半身、寝室。」をエッセイとして書いたとしても、ある意味においてフィクションであることからは逃れられなかったのだと思います。

人は知らず知らずのうちに、何かしらのフィクションを信じてしまうものです。そしてそれは、しばしば現実と区別をすることができなかったりします。

もちろん、フィクションには、人をにっこりと笑わせる良いフィクションもあれば、どんよりと俯いた気持ちにさせる悪いフィクションもあるでしょう。良いフィクションを信じることができるのはとても幸せなことです。しかし、僕がよく考えるのは、悪いフィクションについてです。

この間、山手線の東京駅と神田駅の間の区間で電車が止まりました。その停車位置は通電がないところだったらしく、車内の明かりは消え、エアコンも停止しました。僕は閉所恐怖症なので、その状況の中で呼吸が乱れ、この電車の中から逃れられないこと、この身体から逃れられないことを強く意識して、叫び出したくなりましたが、必死にこらえ、椅子に座りながら、すがりつくような気持ちでリュックを両腕で抱えていました。

そのエピソードを人に話したとき、その人はこう言いました。
「でも、あなたがどこかに閉じ込められたあと、実際に出られなかったことはないでしょう。電車もいつか必ず動き出します。だから怖がる必要はないのです。あなたの感じている恐怖はあなたが作り出しただけの恐怖なのです」

その通りだと思います。閉所恐怖もまたフィクションのようなもので、僕が勝手に作り出したものです。わかっています。電車の中で僕はそうやって自分を慰めてもいました。それでも、閉じ込められていることは、僕にとっては怖かったのです。この怖かったという事実を僕は手放すことができないでしょう。

僕だけではなく、多くの人がそうだと思います。ある恐怖や、ある考え方、あるいは身体の中に囚われていて、それを克服するためには、何らかの形でフィクションを手放す必要がある。しかし、手放した先にある現実と思われるものも、結局は良いフィクションでしかなく、僕には、その人が感じている恐怖を「フィクションに過ぎない」と片付けられるとは、どうしても思えません。だからこそ、そのフィクションもまた、ひとつの現実だと認めるところから僕は始めたいと思っています。

とはいえ、僕も今まで、多くのフィクションを手放してきました。子どもの頃より、いろんなことが大丈夫になりました。そうして、現実とされるフィクションや、フィクションとされるフィクションの間をゆらゆらと漂いながら僕たちは、スルスルと暗い隙間の中に吸い込まれていきます。「ワニ、半身、寝室。」は、そのような隙間について書きました。

これを書いた時点で「他愛 vol.0」はSOLD OUTになっていたので、仮に読もうと思っても読めない人が多いと思い、ちょっと多めに書いてしまいました。ここまで読んでくれてありがとうございます。